*目次

『演劇』したいこと『演劇部』したいこと(2000/11/28)

脚本を書くとき(2000/12/23)

ちょっとホントの話(元題:20世紀最期の歌)(2000/12/31)

あまりにも面白いから書いてみたりね(2001/3/27)

ザッツ滑舌(2001/4/02)

『バカにする』力はバカに出来ない(2001/4/09)

何故脚本を書いちゃったりするのか?(2001/4/12)

『秋空〜』から、部活運営に際して(あるメールより)

欲しい商売(2001/04/14)

ト書きに思いをはせる(2001/04/17)

オモテウラ (2001/04/19)

本当に正しいこと(2001/04/20)

嘘だけはつかない(2001/05/03)

人の心(嘘だけはつかない続編)(2001/05/05)

私は『クレヨン王国』が書きたかった(2001/05/17)

夢の中の夢の中の、ゆめ? (2001/05/17)

某所原稿より引用、『幸せの絶対値』(2001/05/24)

芝居をやる根本について。忘れないで。(2001/06/21)

全国の「ニンゲンカンケイ」でお悩みの皆様(2001/06/21)

グラサン男のぱっとしない生活(2001/06/21)

誰かを捨てるのか?(2001/06/22)

構想「五百回目のラブレター」(2001/08/06)

つばさ?(2001/09/03)

よしなしごと(2001/09/03)

さようなら「ジパングあさ6」(2001/10/01)

たとえ電子空間だけの出会いだとしても。(2001/10/29)

ありのままの描写(2001/10/31)

あなたが生きているということ(書き下ろし)

ひとりが響きあう。(2002/05/08)

ココロのビョーキについて私が語ろう。(2002/05/08(投稿より))

「私が語ろう」注釈 (2002/05/10)

商品価値のある十代 (2002/05/13)

私がしたかったことは------- (2002/06/26)

「りすとかっと」についてかんがえる (演劇とは無関係だけれど私の軸となる考え)

ココロの病について私がレポろう。 (↑に同じく。保健の授業の発表後レポより)

*『演劇』したいこと『演劇部』したいこと(2000/11/28)

こんにちは、西瓜すいかです。

最近気がついたこと。
世の中の「演劇部」には、二種類の人間がいる。
「演劇」したい人間と、「演劇部」したい人間。
最近私が演劇部の友人(まぁ、私は演劇部を引退したのだが)としゃべっていたところ、私は「○○の芝居では誰のどのセリフが良くて、○○の場面では・・・」という「演劇」の話をしていたのに対し、彼女は「後輩の★★さんはちょっと○○の事が嫌いみたいで、それで今こんな人間関係の問題が起こってて・・・」という感じだった。会話がちぐはぐだったのだ。

私は「演劇」の話をしている。彼女は「演劇部」の話をしている。
私は思いきって言ってみた。

「ねぇ、あたしは演劇の話してるんだけど、あんた、演劇部の話してない?」

そう聞くと彼女は「そうだね。私も思ってた。けど、私は『演劇』より『演劇部』がしたい人間だから」と言ったので、私もすっきりしたのだが、もしそうでない場合大変なことが起こる。「演劇部」したい人間が自分のことを「演劇」したい人間だと思いこんでいる場合である。

「演劇部」したいのは悪いことではない。部活として、人間関係や先輩後輩関係を中心に置いて「演劇」をやるのはそれなりに悪くない。けれどそれは「演劇」をやりたいのとは違う。「演劇部」をやりたいのである。

私は自分のことを「演劇」をやりたい人間だと思っている。私にとっては後輩の態度が悪いとか○○ちゃんが悪口を言っていたとかは全く問題ではなく、××さんが練習にこなくてぇ〜とかいうのもも問題ではなく、『芝居やりたいんだったら来るのが当たり前、サボる奴は下ろすし、どんなに嫌いな人間でも「芝居をやる」という目的が一致しているなら、ぐだぐだ言わずに一緒に出来る』のだ。

演劇部したい人が、○○ちゃんがどうとか後輩がまとまらないとかいうのを自分は「演劇」したいと誤認するのは、「演劇」したい人間にとって非常にツラい。(演劇したいんだったらそんなこと言ってる間に演出でも考えろよ)と思ってしまう。

現在演劇部に所属している皆さん、あなたは「演劇」したいのでしょうか、それとも「演劇部」したいのでしょうか。そのどちらも、明確な目的を持ってやればそれぞれ完成された「演劇」「演劇部」になれるでしょう。今一度、よ〜く考えてみてください。

*脚本を書くとき (2000/12/23)

脚本を書くとき、書き始めて少したったときに考える。
私は狂っているんじゃないかと。

もちろんその理由は明確なのですが(^_^;)

結局終わる話を書いて、切断された世界を書いて、一時間しか生きられない登場人物たちの運命を握る。きっとみなさんもこういう感覚は味わったことがあると思います。
例えば誰かを好きになったとき。話しかけてみようとしたり、プレゼントを買ってみたり、買ったのに渡さなかったり。結局なにもできないまま、さよならすることになってしまったり。
そう言うとき「なにやってるんだろう自分。」と思う感覚。あれにちょっと似ているのでしょう。

私は脚本書き(見習い^_^;)です。なぜ「書く」ことに固執して、役者などを出来ないかというと、私は「私として伝える」ことが出来ないからです。だから作文なんか大の苦手だし(この文章もめちゃくちゃだし(;^_^A )どこか自分と離れた場所から、何かを伝えたいのです。

ちょっと古い脚本ですが、「COFFEE〜あまくてにがいあじ〜」を書いたのも、私の身の回りで「終わらせなければならない」ことがあったからです。

ヒトは誰でも自分の未来が少しくらい見えてるはずです。どこかで気づいていて、冷静な判断が出来てしまうのです。例えば激しい感情の中にいる自分が、未来を知っている自分に見られている。そんなこともあるでしょう。

そのうち来るであろう一つの区切りとしての「終わり」に、こんな風でありたい、こんな台詞を心に持って、その「終わり」を迎えることができたら。

激しい感情を持った私はそれを心から祈るし、冷静な私はそれを書き出します。

「COFFEE〜あまくてにがいあじ〜」は、もうだいぶ前に書き終えています。私の「現実に起こった終わらせなければならないこと」も、今になってようやく落ち着き始めています。

「終わらせるんだ。物語を、終わらせるんだ!」

「持ってる傷を、少しずつ埋めていくのか」

「傷の付いた空っぽの缶を眺めながら、進むの。宝物のある方に」

「-------ただ、僕が僕であるために」

*ちょっとホントの話(20世紀最期の歌) (2000/12/31)

ちょっと芝居の話からはずれますが、「男役」について。
僕は本当は男に生まれたかったんです。

いやいや、嘘ではなくて。たまに「絶対男に生まれてきたほうが良かった」と言う瞬間があります。それでも私は女なわけで、日常キツいことも、まぁ、あります。

女子校なんかにいると、日常生活の中での男役というのが存在します。男性諸君、びっくりしないように。ウチの学校なんかはたぶん三割か四割くらいは「男役」です。(笑^_^;)

そう言う意味で「男役」をやっていると、自分が女であることがイヤになってくることもあります。男役としての意識をどこかに持ちながら、身体は女。正直に「私、女って向いてないなぁ」と思います。

最近の私の口癖が「分裂した〜い♪」です。
女役の自分は女の身体、男役の自分は男の身体。
男の身体でなくてもいいから、せめて、男役の自分と女役の自分の身体を分けて欲しい。

まぁ、そんなことも考えるわけです。
そんなずれがある状態で、「COFFEE〜」の光一役の台詞を読んだとき。「僕は〜」という一人称で、すごく自分が楽になるのを感じました。私が書くのは、私が感じている「自分」とのずれを直すためなのかもしれません。

明日には「確かそこには空があった」を公開しようと思っています。
これも「COFFEE〜あまくてにがいあじ〜」の流れを汲んでいます。「終わらせなければならない」ことに対して、「終わった後には」という願いです。

私が現実生活で体験した「終わらせなければならない」こと。私がこれから書くものに、それが登場しないことは絶対にあり得ません。私は絶対に、それをどこかに持ち続けながら書き続けます。

「叫んで見せろ、叫んでみせろ!お前のその言葉が本物ならば叫んでみせろ! 」

「ぐるぐると回り続ける終わりのない運命から、あたしは今、叫び声をあげる。心の中、時空を貫いて世界中に響く歌を歌ってみせる」

私は、私が描いた人たちのように、歌い続けようと思っています。

「そしていつかきっと・・・・・・」

*あまりにも面白いから書いてみたりね (2001/03/27)

昨日、置換にあったり。いや置き換えてもしょうがなくて。痴漢にあったり。

マンション裏(自転車置き場)で、暗い中鍵を探しておりましたよ。
バッグの中をごそごそと。
後ろから、「すいません、すいません」と、自転車乗りながら電話で謝る声。
バイトにーちゃんの謝罪か〜〜とか思いつつ。
そして、電話が切れた後。

私の背後にバイトにーちゃん(仮称)の声。

『ねぇ、おこづかいあげるから、オレのイクとこ見てて。』

はぁ?
ちょっと待てよ君。いくらなんでも私相手じゃ、立つものも立たないんじゃないか?(爆。(こういうネタ嫌いな人ごめんよ))

「いやです」と、言ったものの。
ついてくるんだ。これが。
断り続けたけど。

ああいう古典的な痴漢って、まだいるんだなぁ。と、
感心したりしました。

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エンゲキな話題じゃなくて済みません。<(_ _)>
けど、こういうところから、ネタは出てきたりするのです。(しないか(^_^;))

*ザッツ滑舌 (2001/04/02)

さてさて。詩を書きました。
もちろん私の書いたものですから、私の書きたいこというのが濃縮ジュース的に詰まっているわけですが、それは『ものを書く、作る』という事に関しては当たり前ととらえた後で、

本題です。

上記の通り、私の脚本と同じく私の書きたいことを真剣に書いたものには代わりがないのですが、この詩にはそれ以外の付加価値があります。

『滑舌・朗読練習』

早口言葉は出来るようになったけど,感情を入れようとすると滑舌がわるいという方。おすすめです。(自分で作っておきながら(^_^;))

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にせもののせとものをのせて
ちみもうりょうのみちをあるこう
こいにいこいがあるものか
あるのはのんきなのるまだけ

ちからにかちがあるのかしらと
みちのむこうできみがきく
みちのむこうのみちのちに
なみだのなみがおしよせた

にせもののせとものをのせて
ちみもうりょうのみちをあるこう
ちからにかちがあるものか
きみをなかせてなるものか

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ちなみに、漢字を入れると。

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ニセモノの瀬戸物をのせて
魑魅魍魎の道を歩こう
恋に憩いがあるものか
あるのは呑気なノルマだけ

力に価値があるのかしらと
道の向こうで君が聞く
道の向こうの未知の地に
涙の波が押し寄せた

ニセモノの瀬戸物をのせて
魑魅魍魎の道を歩こう
力に価値があるものか
君を泣かせてなるものか

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さぁ、これであなたも滑舌朗読名人に!!

*『バカにする』力はバカにできない。(2001/04/09 )

妙にいい感じなタイトルになってしまいましたが、事実です。
いや、これは深く考えると怖いのですよ。

どんなに頑張っていても、
どんなに真剣に芝居を、歌を、絵を、書くことを、やっていても、
どんなに必死に何かを伝えようとしていても、

相手が『バカにする』体制に入ったらもうノックアウトです。
門前払いのセールスマン状態。
それ以上どんなに頑張っても、押し売りで罪人になるのがオチ。

いやね、分かります。分かりますよ。
何となく自分の身が危うくなって
気がつくと自分の後ろに自分が立ってて、
日本語が単なる音にしか聞こえないことくらい分かります。

そういう風になってしまった人たちに対して、
『私』は何が出来るんでしょう?
例えば、そういう人たちに対して、もしかしたら芝居は無力かもしれない。
音楽も、歌も、話しかけることも、絵も、
文章も手紙も、全てが無力かもしれない。
--------切り捨てますか?

私には出来ません。
私がそうならないという保障など一切無いのだから。
そう。そうですね。それを突き詰めていけば、
『じゃあオマエは嫌われたくなかったら全員好きになるのか』
とか、なりますね。
でも、正直言ってそれって当たり前じゃないですか?

実行できるか出来ないかは確かに問題です。
人間って、かなり、相当、短絡的ですから、
一時の感情やら屁理屈やらで動くことはあります。
けど、理屈としては至極当たり前ですよね。

『出来もしない目標掲げるのか?(笑)』
また、バカにされてしまいそうですね。
でも、じゃあ、何のために芝居やってるんだろう。
何のためにモノ創ってるんだろう。
何のために誰かに語りかけて、
何のためにここに居るのだろう。

--------他者に、自分に、何か変化を与えられない場合の、
    自分の存在意義は?










有言不実大いに結構。
言を有したことは少なくとも事実なのだから。

明日を諦めきって生きている人が居たら、言ってみたいもんです。
『よ!景気はどうだ?』

『こっちはね、最高だよ。』

*何故脚本を書いちゃったりするのか? (2001/04/12)

さて、私は不器用である。
直接語りかければよけいなことまでしゃべりだし、
小説を書けば状況説明が面倒になる。
詩を書けば、書くことに対して甘えが出てしまうし、
絵も、表現力が思いっきり不足している。
写真で物語を語るには知識も技術も未熟すぎるし、
楽譜も読めない人間に、音楽は作れない。
役者なんぞもってのほかである。
右足を出そうとして左足を出す人間が、
役者に向いているとは自分で思えない。

さらに、全くもって我が侭なので、
自分だけで完結したくはない。
また、自分で完成、完結させられるほど器用でも潔癖でもない。

それでいて、
『生身の人間が伝えられることはきっと2Dの世界よりたくさんあるはずだ』
と思っているから始末に負えない。

『COFFEE〜あまくてにがいあじ〜』というのがあるが、
自分で言うが、あれは皮肉のホンである。
「物語を終わらせるんだ」と言った直後に出る言葉は、
「終わったんじゃない、始まったの。わくわくするような物語が」
である。

私は脚本を書くときに、物語全部が決まった状態で書く。
けれど、創作集団『必志組』で出会った他の脚本書きの方々は、
終わりは決めないと言う。

その時は、「へぇ」という感じだった。
けれどいろいろ考えた。
それがもし、生き方にも当てはまるとしたら?

私は終わりを決めている。
ここで書くようなことではないので書かないが、
確かに私は終わりを決めている。
だから一直線に、終わりを目指しているのかもしれない。
だからこそ、ここまで集中して
エネルギーを出し切ろうとしているのかもしれない。
先が全く見えない状態で生きるというのは、どんなに不安なことなのだろう。
私には分からない。
その中で生きているひとは、予想以上に強かった。

『 第 四 期 』は、終わりを決めている。
私がしているエネルギーの出し方は、もしかしたら、
終わりに向かう破滅的なものかもしれない。

ただ、私はこれでよい。
私が暗闇に放り出されたなら、私は立ち止まってしまうだろう。

立ち止まりたくはない。

だから、歩こうと思う。

*『秋空〜』から、部活運営に際して

こんにちは、『秋空〜』を書いたひとです。
私の思う、私の伝えたかったこと、
そしてもしかしたら、ちょぉぉおおっとだけ役に立つかもしれないことを、
書かせていただきたいと思っています。
私の勝手で、文章を読ませる時間を取ってしまってごめんなさい。

さて。高校生や大学生、社会人まで、いろんなサークルを作る人が居ます。
その中には、もちろん演劇をやっているサークルもあるのです。
けれど、たいていの演劇サークルは、「人間関係」という、
芝居の高みを目指すことと全く関係のないところで崩れていきます。
アメリカの言葉に、「mind your own business」という言葉があります。
私は、仲間というのはビジネスでありたいと思っています。
冷たいとか、情を挟まないと言うことではありません。
互いに、互いを利用しあうのです。
互いの目的のために。

もちろん演劇部にいるからと行って、全員が役者なり脚本書きなり、プロの明かり屋なりを
目指すわけではないでしょう。
けれど、そこには「目的」があるはずだし、あるべきなのです。
例えば、「部活に入って友達を作りたい」という目的。
「芝居を、楽しんでやってみたい」という目的。
「役者になりたい」という目的。
「●●と同じ所にいたい」という目的。
「脚本を書きたい」という目的。

『なんとなく』では無いはずです。
『なんとなく』からは、行動は生まれませんから。
一人一人が、みんなを利用しているのです。
誰かといっしょにいるために、部活を利用している。
役者をやるために、脚本書きやスタッフ、演出を利用している。
芝居を楽しんでやるために、仲間の存在を利用している。
誰かと仲良くなるために、部活を利用している。

みんなと仲良くするために、仲間を作るために部活にいるのなら、
「仲良くしよう」と、言ってもいいわけです。
けれど、役者をやるため、芝居をやるためにそこに居る人は、
仲良くしたくないかもしれない。
そのために時間を割くことすら、面倒なくらい一生懸命なのかもしれない。
そうしたら、交換条件を出せばいいのです。

『あなたの、「みんなで仲良くする」目的のために仲良くする。
 だから、私の「芝居をやる」目的のために相手役をやって』

これは、「ビジネス」です。
芝居をやることは、自分の目的だと認識しやすいかもしれません。
けれど、「みんなで仲良くする」ことも、結局は個人の目的なのです。
「仲良くしようよ」という言葉は自然に思えますが、
それだって一つの「自分勝手」の形なのです。

だからといって、「自分勝手」だと責めても、何も始まらないでしょう。
だから、「ビジネス」なのです。
自分の自分勝手を許してもらう変わりに、相手の自分勝手を許す。
感情ではない。理屈として当たり前のこととして。

さぁ、ここでちょっと未来のことを考えてみましょう。

さっきの交換条件の台詞の跡で、誰かが「自分勝手だ」と言ったと考えましょう。
「何よ、あたしは仲良くしようって言っただけなのに」
「当たり前の事じゃない、そんなことも出来ないの?」
「あなたの目的はあなたの目的。どうしてあたし達がそれにつきあわなくちゃいけないのよ」
「自分勝手!」
・・・と、なりませんか?
そうすると、何か創り出せますか?
一人一人の伝えたかったことは、観客に、仲間に、伝わりますか?
一人一人のほのかに持っていた目的は、達成されますか?

思い出して下さい。
どうしてあなたは今、その集団にいるのか。
演劇部に限りません。これから高校で、そして私も体験していませんが、
多分大学でも、恋愛でも、友人関係でも、社会でも、それから先でも、
同じような問題がぐるぐるぐるぐる回り続けると思います。

「秋空のうた」。
美紀は加奈のことを助けたかった。
加奈は美紀に助けてもらいたかった。
なのに、どうして?
美紀は、加奈に「助けたいよ」と、言わなかった。
加奈は、美紀に、「助けて」と、言わなかった。

自分の本当に伝えたいことを、やりたいことを、して欲しいことを、
よく、思い出して、
言葉にして下さい。
言葉じゃなくてもいい。たわいない会話でも、ふとしたときに手をつなぐことでも。
ただ、しっかりと伝えなければ。
加奈が美紀に助けを求めるのは、とても自分勝手。
美紀が加奈を助けたいと思うのは、とても自分勝手。
でも、もしかしたら、助けてくれるかもしれないから、助けを求めているかもしれないから。
もしかしたら、同じ方向へ歩いていけるかもしれないから。
賭けてみよう。伝えてみよう。
それをきっと、桜子先生や美奈子先生は知っていたのでしょう。

「あたしは仲良くしたい」
「あたしは楽しくやりたい」
「私は役者をやりたい」
「私は○○の手伝いがしたい」
「私は見に行きたい」

同じ方向へ歩いていけるはずです。

まず、伝えて下さい。
私の場合は、それが脚本であり、文字でした。
伝えられなかった「大好きだよ」。
自分がここにいる本当の目的をはっきり思い出せなかったら、
加奈を思い出して下さい。
自覚して、言うこと。
それだけです。(^-^)

加奈と美紀の存在で、どうか私の考えていることがみなさんに伝わりますように。