*私がしたかったことは------- (2002/06/26)

中学校一年の頃。
私は漫画大好きっ子でした。
と、同時に、アニメ大好きっ子でもありました。

今、私は脚本を書いています。
けれど、私は本当は役者をやりたかった。
体力がなかったため、舞台に立つ役者業には
少なくとも当時は向いていませんでした。
けれど声なら。声なら役者になれるかも知れない。
歌うこと、叫ぶこと、語ること。

大好きでした。

実は最近、(まぁ、忙しいせいもありますが(^_^;))
「つくる」という作業を殆どしていませんでした。
何を作ったらいいのか。何をすればいいのか。
そもそも何故つくるのか。

アタリマエですが、脚本は非常に長いです。
四百字詰め原稿用紙約60枚で、一つの作品になります。
まとめること、推敲すること、突き詰めること。
感情を昇華した後で描くこと。
それが主な作業になります。
その上時間の無い受験生生活では、綿密に計画を立てて、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、積み重ねて行かなくてはなりません。
大きな計画書と、着実な実行。
この二つは、

叫ぶこと
祈ること
ただ想うこと

そんな、表現を垂れ流すように、溢れるものをただ書きとめていく、
そういう私の今までのやり方とは、非常に異なるものでした。
だから、書けない。
書けないとエネルギーばっかりが溜まって、
自暴自棄にすらなるもんです(笑)。
もう、もう、力とかエネルギーとか、
感情の嵐みたいなもの、感覚の雷みたいなもの、
そんなものはいっぱい、いっぱい、私の身体をやぶりそうになって
ごうごう音を立てて荒れ狂っているのですが、
それを、出す方法が分からない。

そんな状態でした。

ところが。
私の学校は高校三年生が全員、クラス単位で芝居をやる
(しかも十月)
という、「おめぇら受験はええんかいっ!」という学校なのです。
そこで、脚本が決定し。
所要時間を計るために長台詞を読み始めた瞬間。

ふぅっ、と。

出ていったんです。エネルギーの塊が。
思い出しました。ぜんぶ、思い出しました。
何で芝居をやったのか。
何で表現をしたかったのか。
何で、リストカッターや○○病を名乗る同年代が
私にとってこんなに愛しいのか。

外からの刺激が、自分の見る世界が、溜まって、溜まって、
溜まり続けて、
爆発する瞬間。
それがビョーキに向き、傷に向き、過去に向き、堕ちて行くか。
表現に向き、最後までかまいたちに切られながら、
そよかぜに吹かれながら、生き抜くか。
同じだということに、その根っこはとても同じだということに、
きっと私は気づいていたのです。

表現することも、ビョーキを主張することも、
結局は自己愛で、何も違いはないかも知れないけれど、
それでも、何か「ちがう」と、私の中の何かが言うのです。

エネルギーを外に出す方法を、
知らず知らずの間に私はホンに限定していました。
(ホンと手首切り?(笑)
中学校の半ばくらいはそうでしたね。^_^;)
絵でも良かった。色でも良かった。
私はまだ歌ってもいいし、話してもいい。
役者を目指しても、いい。
まだ、何だって出来る。

 もっと もっと もっと 。

折角エネルギーが有り余ってるんだから、
(有り余り過ぎてときたま暴発してますが^_^;)
どんどん扉を開け続けようと思います。
まずはカラオケで上手く歌えるようになるように。
発生等鋭意努力中です。

明日明後日とテストです!
こちらものらくらかわして参ります。<(_ _)>

*ひとりが響きあう。(2002/05/08)


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朝日のような夕日をつれて
僕は立ち続ける
つなぎあうこともなく
流れあうこともなく
きらめく恒星のように
立ち続けることは苦しいから
立ち続けることは楽しいから
朝日のような夕日をつれて
僕はひとり
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
ひとりであることを認めあうことは
たくさんの人と手をつなぐことだから
たくさんの人と手をつなぐことは
とても悲しいことだから
朝日のような夕日をつれて
冬空の流星のように
ぼくは ひとり

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第三舞台『朝日のような夕日をつれて』より。

この言葉は、このままでは、理屈では、何も分かりません。
なんで、悲しいことなのか。
なんで、苦しいことが楽しいことなのか。
全然、頭では分かりません。

けれど、聞こえるのです。
きちんと。事実を越えた真実として。

第三舞台の台詞は、言葉がとても完成されています。
だからこそ、今の「自然な演技」が主体の演劇には、
そろそろ沿わなくなってきています。
けれど、私はこの「ことばのちから」を愛してしまいます。
昔からヒトは、「祈り」を使ってきました。
八百万の神に。天照皇大神に。
それは様々な呪文や、祝詞として今も残っています。

きっと、言霊というのはあるのでしょう。
そして、ひとりひとりに、運命の言葉があるのでしょう。
それはたわいない言葉かもしれないし、意味を持たない言葉かもしれない。

私にとってのここ一番の「言葉」は、この、「朝日のような夕日をつれて」でした。

『ひとりであることを認めあうことはたくさんの人と手をつなぐことだから/たくさんの人と手をつなぐことは、とてもかなしいことだから』

わたしは、ひとりです。

様々な人の声が、とくに私と同じ年代の、泥沼にはまってしまった人たちの声が確かに聞こえるのに、身体が裂けるほど聞こえるのに、ひとりです。

大好きな人が守ってくれるのに、ひとりです。

芝居というひかりが見えているのに、ひとりです。

けれどひとりだから。せめて。
本当に私は、貴方は、ひとりきりだから。
せめてこのひとりの場所から、誰かに何かを送りたいのです。
私は、きっと一生ひとりです。
一生、手をつなぎあう仲間などいないのでしょう。
けれど同時に、みなひとりなのだから、みな仲間なのでしょう。

誰もお互いを理解など出来ないという認識だけが共通で、
ただ、ひとりで立ち続けなければならないのでしょう。
そこでその淋しさを諦めるのではなく
そこでその淋しさを認めないのではなく
ただそこで「淋しい」と。
ただそこでその痛みを鮮やかなまま抱き続けながら、
祈りたいと、願うのです。

ヒトは、ひとりだと淋しいと思います。
誰かいなければ生きていけないと、思います。
そう思うから、自分以外の誰かも、ひとりでは淋しいのだと、
自分以外の誰かも、ひとりでは生きていけないと思い込むのです。
だからその、自分以外の誰かのために隣にいなければと
その誰かを傍で癒さなければと思えるのです。

芝居だってそうです。
芝居を見て、芝居をやって、しあわせになれたから。
その変化がわずかでも、救われた気がしたから。前へ進める気がしたから。
だから自分以外の誰かも、芝居で幸せになれるかもしれないと思いこむのです。
だから、芝居をやるんです。
だから、表現するんです。誰かのためという大義名分のもと。

存在意義の確認でしょうか。

ほんとうは、ヒトは、ひとりだけで大丈夫なんですよ。
ほんとうは、貴方は、ひとりだけで立っているのですよ。
ほんとうは、芝居なんてなくても、みんなだいじょぶですよ。
ほんとうは、表現なんてなくても、みんなしあわせですよ。
ほんとうは、どうにかなりますよ。

私は例えば芝居を諦めなければならなくなったとしても、
例えば愛する人に会えなくなったとしても、
例えば暴力を振るわれたとしても、
例えば飢えて死んだとしても
傷ついても、諦めても、死にたいと願っても
愛されても、愛しても、涙を流したとしても
なにも、なにも変わりません。
ヒトとして在ることに幸せを感じながら生きていくことが
きっと出来てしまいます。

なら私には、きっと何も要りません。
私の幸せには、何も必要ないんです。
私は、確実に、ひとりで大丈夫なんです。
それは、とても、怖いことです。
自分が本当は何も必要としてはいないということは、
誰もが本当は自分を必要としていないことを認めることだから。

けれど、私にはまだ響くのです。
「冬空の流星のように、ぼくは ひとり」と言われれば、
暖かいようで冷たいようで、寂しいような懐かしい痛みが
確かにまだ走るのです。
その瞬間、この言葉を生み出した人と、この言葉に響いた人と、私は、
同じ痛みでつながるのです。
それは私に何の変化も及ぼさないけれど、
ただ響くのです。
暖かいようで冷たいようで、寂しいような懐かしい痛みをもって。

だから私は、私の発する固有の振動が、
誰かにかすかに響くことを祈るのです。

なにも、変わりません。

ほんとうは、なにも変わらない。

けれど私はヒトだから。
響きあうことは喜びでも、哀しみでもないかもしれないけれど、
響きあうことはただ、響きあえることだけは教えてくれるから。

私にはもう、そろそろ、感情がないのかもしれません。
泣こうがわめこうが笑おうが、冷静な自分が必ず居ます。
だから、残っている感覚は全て使っていきたいのです。
聞こえる声は全て聴こう。そしてそれに、可能な限り、響こう。
聞こえる歌は全て聴こう。そしてそれに共鳴しよう。
見えるものはすべて目に焼き付けて、
流れてきた香りはすべて心に置いておこう。
触れた暖かさは、冷たさは、いつでも取り出せる抽斗に、
風に変えて仕舞っておこう。

毎日、毎日。受験生をやらなければなりません。
毎日、毎日、感性が、心が鈍っていくのが分かります。
だから、感じられるものはすべて感じよう。そう、思います。

ほんとうはピーターパンになりたいんです。
でも子供のままでは、力が足りないから。
聞こえる声に、歌に、痛みに、叫びに、何も返すことが出来ないから。
ネットで見つけたホームページで、淋しさを叫んでいるひとを
ただ抱きしめたいと願っても、
私には遠く離れた九州やら北海道やらへ行く旅費すらないから。
淋しくて仕方がないオトナが居ることも、
不安で仕方がない教師やら親やらがいることも分かっているのに、
子供だと言うだけで、私たちは手を伸ばせないから。
手を伸ばしても彼らは、はねつけなければならないから。

力を手にすると、心が無くなりそうです。
力を手にするためにはたくさん学ばなければならないから、
力を手にするためにはやるべきことがたくさんあるから。
とても忙しいから。忙しいという字は、心が亡くなると書くぐらいだから。

けれど、私は自分に賭けてみます。
心をなくさないままに、私は力を手に入れたいのです。
響くことは弱いけれど強いことだから。
響くには動かなくちゃいけないけれど、
響くには自分がしっかりと根ざしていなければならないから。
心をなくすくらいだったら力なんかいらないとは言いません。
力を手に入れたとき、心など下らないとは言いません。

響き続けることは苦しいから
響き続けることは楽しいから。

ひとりで、よかった。

ひとりでいるひとのくるしみがわかって
ひとりでいるひとのたのしさがわかって

ぼくは ひとり

私は今、心から幸せです。

ココロのビョーキについて私が語ろう。(2002/05/08(投稿より))

 私は現在、高校生である。「キレやすい十七歳」のジョシコーセーだ。家族は二人。母子家庭である。私がこれからお話しするのは、十四歳の頃のことについて。お題は「リストカット」である。

 私が中学生のころといえば、酒鬼薔薇事件、キレる十七歳。少年犯罪と精神鑑定がマスコミを賑わせていた。責任という名のボールがキョーイクやシャカイやカテイの間を楽しそうに飛び回って、いつのまにか消えていった。

 犯罪や非行のニュースが流れるたびに母は、「まったく、訳が分からない。本当に怖い、怖いねえ」と言った。人を殺すことやキレることが理解できないと言うのだ。私はそれに「そうねえ」と相づちを打ちながらも、心の中では彼らに同族意識すら感じていた。何故なら私にとってココロの病というものはコミックや小説、ドラマなどで慣れ親しんでいたものだったから。

 狂気というのは、皆にあるものだと思っていた。人を殺したり、訳の分からないことを叫んだり。刃物を持ち歩いたりするのも理解できる行動だった。そして白状しよう。私はそれをちょっとカッコイイと思っていた。殺意、狂気、自傷、多重人格。これらは十四歳の私にとって魅力的だった。狂うこと、異常者になること。「わたしにもできるわ」と思っていた。そしてそれを、実行していた。

 朝起きて、ウインナーと卵、そしてプリンを食べて制服に着替える。シャツ、スカート、ブレザー、リボン。ポケットには家の鍵と自転車の鍵、そしてカッターを入れていた。

 百円ショップのちゃちなカッターで、刃を止めておく部品にはヒビが入っていた。いつ刃が出てくるか分からない状態だったのだ。スカートのポケットを破いて、太股を切り裂くかもしれない。ドキドキしていた。血が出るのかしら?傷跡が残るのかしら?自分がテレビで騒がれている異常者の仲間入りをしたような快感を、十四歳の私は隠しきれなかった。

 学校のだれもいない階段で、そっと刃先をなぞってみる。指で、くちびるで、舌で。指先に赤い筋が出来ると、傷口を爪で開いて血がまあるく溜まるまで待った。そして、うっとりと舐めとった。

 先生に見つかってたしなめられることもあったが、いつも軽くかわしていた。友人が、教師が、腫れ物のように私を扱う。とまどったような哀れむような、心配そうな視線を向けて、私をいたわったり、見下したりした。

 最初は手首にうっすらとひっかき傷のようなものを一筋つけるだけだった。次第に慣れてくると、それを幾筋も繰り返した。私の左手首の皮膚はいつでもささくれだって、赤黒いかさぶたが出来るようになっていた。夏はあまりやらなかった。半袖で腕が露出するので、母に見つかってしまうからだ。けれどどうしてもやりたいときは冷房を20度ほどにして部屋を冷やし、長袖のジャケットを羽織って傷を隠した。

 冬になって、新しいカッターを手に入れた。新しい刃先は切れ味が良く、深く切れた。このころになると切り方のこつを覚え、切った瞬間にピンク色の肉が見えるようにすることが出来た。そこから血が出てくる。ティッシュが赤く染まる。一枚、二枚。まだ足りない。もっと、もっと。ところどころ赤く固まったそれらは見つからないように、トイレに流した。

 私がリストカットをしていることが少しずつ知られて行くと、そのスジの友人が何人か出来た。自分もやっているという後輩もやって来た。精神科に通っているという子や、自分は多重人格だと主張して、会うたびに違う名前を名乗るような友人もできた。

 彼らと話をするうちに、様々なことが分かってきた。話をするうちにと言うよりは、観察するうちにと言った方が的確かもしれない。私は彼らを、そして自分を観察するようになっていた。

 彼らは、自分を理解できるものはいないと言っていた。彼らは、偽善者という言葉をよく使った。サイコという漫画や、由貴香織里という漫画家の作品が好きだった。血が好きだった。ビジュアル系のバンドか、cocco、椎名林檎を愛し、SPEEDなどの明るい歌を下らないと笑った。彼らは刃物を持ち歩くのが好きだった。彼らは向精神薬をカッコイイと思っていた。学校という管理空間が嫌いで、制服すら憎んでいた。教師が嫌いだった。親が嫌いだった。大人が嫌いだった。そして私は、彼らの仲間だった。私のオリジナルであるはずの感情が、嗜好が、そっくりそのままそこに在った。

 その共通性に気づいた時、私は寒気がした。彼らは、私は、制服や教育を「普通の子生産工場」だと思って憎んできたけれど、気がつけば私たちは「変わった子」という型から量産された商品になっていた。どうしてだろう。そもそもこの型は何処から来たのだろう。私はインターネットを使って調べてみた。私の知っている範囲以外でも、このスタンダードは成立しているのだろうか。調べてみたら、アタリだった。みんなcoccoが好きだった。自称多重人格者の十代に多い名前は「凪」「陶子」「忍」「葵」。リストカットをしている子のホームページは背景が黒か白のモノトーンで、アクセントに赤。刃物か薬の写真。「其れ」「此処」「厭」「アタシ」。椎名林檎の歌から取った言葉遣いをみんながしていた。

 くだらない。なんてくだらないんだろう。私がそう思ったときには、二人が学校を辞めて、精神科に入院した。ひとりは手首を切った傷が深く、病院に運ばれた。多重人格を自称していた子は、記憶が飛ぶようになっていった。本当の解離性人格障害ならば、記憶が飛んでいる期間のあとに、お互いの存在を認識するようになるはずなのに。けれどしかたがない。漫画では互いの人格の確執のみが描かれていたのだから。

 多重人格を名乗っていた一つ年下のその子は、私の一番の友人だった。

 皆が流されていった。自分という存在ではなく、「正常」「異常」「健康」「病気」という名前で振り分けられていった。学校では「あの人○○だったんでしょ?」「学校辞めたよね。○○じゃあね」という声が聞こえた。彼らはもう、彼らそのもので語られることはなかった。彼らは○○だった。それだけだった。

 私は、嫌だった。なるほど私はリストカッターかもしれなかった。中学生であったかもしれないし、女だったかもしれない。それらは確かに私の構成要素だったけれど、それは絶対に私の全体を表すものではなかった。自分を名前で規定したくはなかった。規定されたくも無かった。

 強くなろうと思った。「○○である自分」に安心することは簡単だと言うことが、すこしずつ分かってきた。中学生ならば失敗は許される。病人ならばいたわってもらえる。異常者ならば気にかけてもらえる。自分は規定されることで守られていたと、また、自分を守るために自分を変わった子という名前で規定してきたのだと知った。

 私は十七歳になった。腕を切ることが完全になくなったとは言わない。何か心が壊れそうになったときには、また自傷行為に走るのかもしれない。もしかしたら自傷ではなく鬱かもしれないし、パニック症状かもしれない。男性ととっかえひっかえ、交わるかもしれない。もしその暴走した力が他人に向けば、いじめや暴力として現れるかもしれない。

 けれど私は強くなった。今私は、リストカットに溺れていた頃の私に問いかけたい。「親の七光りという言葉があるけれど、あなたはどうだろう?あなたは自分が影のようなものをひきずりながら必死で生きていると思っているけれど、その影は借り物じゃないのかな?」と。

 そしてあの頃の私は、まだまだたくさんいる。インターネットに、身近な後輩に。

 ちゃんと、自分の存在で立っていますか?その光は自分のものですか?その影は自分のものですか?

 私はこの問いかけを続けたい。あの頃の私に。そして、今の自分に。そうすれば最期には後悔無く微笑えるような気がしてならないのである。

*「私が語ろう」注釈 (2002/05/10)

これら一連のコラムについて、注釈です。
と、その前に、私が一年半(二年?)ほど前に書いた文章を一つ。
これはある、小さなページで、「私が落ち込んでいたら気にしますか?」という質問にyesと応えた人用の文章です。

==================

私のことを気遣ってくださったあなた。本当にありがとう。

で も ね

それじゃぁ駄目なのですよ。
私がどんなときどんな風に落ち込んだとしても
どんな状態であったとしても
私は自分を

『不幸だ』
『弱い』
『鬱だ』
『リストカッターだ』
『精神的にね…』
『苦しんでいる』
『泣いている』

そんな風に言うのはまっぴらごめんなのだから。
言われるのでさえも
私には煩わしいのだから

名前は他人が付けるものだ。
私が学生であると言うこと
私が女であるということ
私が水瓶座であること
O型であること
これらを占いにより総合して考えると脳天気であること
実は王子さまお姫さまカレーが好きだったこと
今でもほのかにあの味を懐かしく思うこと
でもってひそかにスーパーで20分ほど立ちつくしてしまうこと

ほかにも、自分を表す言葉には事欠かない。
知っている人も多いのだろうが
私を表すにはいろいろな名前がある
けれど、私は好きではない。
特に、沈んでいくものは好きではない。
何より、妙にナウい(死語だぁ)
カタカナ語の病名や
奥ゆかしい漢字の病名などは似合わない

ほら。丸顔だし。

これらを総合すると
こんな人間を心配する気は失せましたか?
『バカのたわごとでも見るかぁ?』
という気になれましたね?

==================

一部抜粋ですが、こんな感じです。

私がビョーキを嫌いなのは、それがヒト本来のちからを(プラスのものであれマイナスのものであれ)妨げるからです。
「一人一人の身体の中にいるお医者さんを、首尾良く働かせることが出来ればそれで十分なんです」とは、医学博士シュバイツァー博士の言葉です。自分で自分のことをビョーキだなんて言ったら、ましてやそれを自分の定義(アイデンティティ)として使っていたら、自分の中のお医者さん(ココロでも身体でも)が働いてくれるはずはありません。

けど、自分で自分をビョーキだって言って、人の目を引きたいと思うこともあるはずです。いいと思います。そう想ったときはとことんやればいい。堕ちたいところまで堕ちればいい。すきなところまで、行けばいい。

でも無意識でやっているのは、とても、かなしいことだと思うのです。

私がずっと、今でも気に入っている言葉があります。
私が思わず、「誰か」に向けて書いてしまった言葉です。

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行きたいときに行きなさい
生きたいときに生きなさい
逝きたいときに逝きなさい
貴方の星まであとすこし。

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行きたいときに、すきなところへ行けるように。
生きたいときに、そのままに生きられるように。
逝きたいときに、逝けるように。
そしてまた、
行きたくないときに行かなくてすむように。
生きたくないときに生きなくてすむように。
逝きたくないときに逝かなくてすむように。

常に、常に、自分の存在が何者かに侵されないように
守っていたい、と、願うのです。

そして私は、私自身の触れてきたことのなかで、
この「ビョーキ」に、自分を規定する「名前」に、
特に闘志を燃やしています。(笑)
ヒトが言葉を作り上げました。名前も、つくりあげました。
ヒトが作った名前に、ヒトが決して負けないよう、
祈っていたいのです。

これはよくある、「自分とのタタカイ」という、
道徳の教科書にでも載っていそうな話題なのでしょう。

けれど道徳の教科書は鼻で笑うひとも、これなら響くかも知れない。
これを鼻で笑うひとも、道徳の教科書なら響くかも知れない。
またどちらも受け入れられなくても、歌や、絵や、声や音楽なら響くかも知れない。

祈っているんです。とてもとても。
なぜだか分からないけれど、ほんとなんです。

とても、大切な人がいます。
私はどこか危なっかしく。どこか痛々しいところがあるそうで。
どっかで、無理をしてるみたいです。
何て言うか、「ねじまがってまっすぐ育った」みたいな。
多分、言っていることは事実でしょう。
ただ、その人、いえ、「その人たち」へ。
安心して下さい。私は「細く長く」はヤなひとです。
けど、「太く短く」派ではありません。
「太く長く」派です。そこんとこよろしくお願いします。
私的には、
『太く長く>太く短く>>細く長く>>細く短く』
です。
あ、あと。
危なっかしいんだったら助けて下さい。
私にそれだけの価値があると認めてくれるなら。
なんかこう。うん。よろしくお願いします。(笑)

ひとりではどうしようもないときがありますね。
だから楽しいんでしょうね。
ってゆーか、私はだから楽しいと思ってるんです。マジで。

いやね。ある人に言いたいことがあって。
もうもう、とっても言いたいことがあって。暴言なんですが。
「あぁ?あんたのことなんかわかんないさ?じゃなきゃ惚れねーよアホ。人間の行動の基本は好奇心と探求心なんだよ。一生かかってもとけないパズルは泣くほど面白そうなんだよ。理解れタコ!」

西瓜すいか、女を捨てて根性論で戦う気まんまんです。
読者の皆様、応援よろしゅう。(笑)

* 商品価値のある十代 (2002/05/13)

最近の「奮闘記」は、演劇から離れてますね。(^_^;)
でも、私にとっては、みな同じ事なのです。
「表現」論。

『何で芝居やってるんだろう』が、
『何で表現しているんだろう』になり。
「表現」の意味を考えると、
『何で、自分から社会へ発信したいと願うんだろう』になっていく。
そして、認められたい、関わりたいという欲求はどこから?と考えると、
『何で、人との関わりを望むんだろう』が、出てくる。
そして世界に一人きり、誰とも響かない、誰とも関わらない事を考えて恐くなったとき、
『何で、生きているんだろう』が、自ずから顔を出す。

さてさて。今回は「十代」について。ティーンエイジャー。私達のことです。

先に述べたような私の考え方。掘り下げて、考えて、考えて。
こういう十代って、あんまり取り上げられていない気がするのです。
マスコミに。社会に。浸透していない気がするのです。
もちろん、有名人の中にも、十代はいます。
けれど彼らが何を思って、社会に何を言いたくて、何を伝えたくて
(それは、主義主張とかいうことではなく、想いや祈りであったとしても)表現してるのか、誰も興味を抱いていない気がするのです。

例えば女子高生。ルーズソックス、渋谷、もしくは拒食症や不登校、引きこもり。これらの事柄をマスコミが取材するときに欲しいのはきっと「本橋裕子」でも、「竹内彩乃」でもなく、「ルーズソックス女子高生」であったり「不登校少女」であったりするのだと思うのです。「女子高生の実態を探る!」「不登校、彼女たちの本音」。そのタイトルを掲げていても、結局商品価値があるのは「本橋裕子」の思想でも気持ちでもなく、「ルーズソックス女子高生」の姿であり、「竹内彩乃」の痛みではなく、「不登校少女」という名の見せ物だと思うのです。

私は、マスコミを責めるつもりは全くないんです。
彼らも(もちろんいい加減な人もいるのかもしれませんが)作り手であるはずです。
ただ哀しいのは、見る側がそれを望んでいるという実態です。

私は、私達は今まで先生やら大人やらから、
「ものごとを深く考えなさい」
「気持ちを豊かに持ちなさい」
「ひとの痛みが分かる子になりなさい」
そう、言われてきたはずです。
物事を深く考えれば、痛いです。
気持ちを豊かに持てば、痛いです。
ひとの痛みを分かるようになれば、痛いに決まっているんです。
「辛い道を歩みなさい、それは本当の幸いだから」
そう、言われてきたはずなのです。
私は今、とても幸せです。その痛みを感じることが出来ることを、
考える力を、感じる力を持って生きていることを、幸せに感じます。
けれど今、望まれている姿は、
型にはまった「女子高生」「不登校」であり、
その典型的な「かたち」なのです。
そして、それを望んでいるのは、大人であり教師であり、
彼らを含む「社会」なのです。

痛みが分かるように育てられた人間は、
当たり前ですが、痛いんですよ。
もちろん、痛みが分かるように育てられたからって
友達に優しくできるとは限らないし、正しい判断が出来るとも限らない。
けれど考えることを放棄するよりは、ずっと痛みを感じるんです。
比較できるものではないけれど、確かに私は「痛い」と感じるのです。
けれどそこで「痛い」と言えば、帰ってくるのは
「しょうがない」もしくは、
「もっと楽に生きろ」です。
もちろん正論です。幸せなら、不満がないのなら、微笑っているべきです。
けれど私に綺麗事を教えた彼らが、
それがどれほど素晴らしくて、幸せなことかを伝えてくれた彼らが、
どうしてその綺麗事を諦めているのだろう。
それがとてもとても不可解なのです。
どうして、商品価値のある十代を扱う番組やら本やらが、
「商品」にならざるを得なかったかを考えないのだろう。
考えることを教えてくれたのは、彼らの筈なのに。

けれど、分かるような気も、するのです。

きっと、疲れてしまったんでしょうね。
きっと、無力すぎたんでしょうね。
きっと、乾きすぎてしまった。風化してしまったんでしょうね。
それでもきっと忘れてはいないけれど、
とにかく疲れてしまったんでしょうね。

望み続けることに。渇きつづけることに。

きっと、昔は燃えていたんだと思うんです。
心も思想も、感覚も。すべてが敏感で、痛かったんだと思うんです。
けれどその時力が足りなくて、無力で、
「いつか力を蓄えてやる」と、決意して。
そして、強くなることに専念したんだと思うんです。
そして忙しく立ち回り。勉強し。地位を獲得し、お金を稼いで。
心を、亡くしたんだと、思うのです。

だから私は、商品価値のない、流行遅れの十代として、
今の疲れ切ってしまった大人に、言いたいのです。
「助けて下さい」と。
もう疲れ切ってしまったから、再び燃え上がることは出来ないかも知れない。
けれど、本当は。あなた達が商品価値さえ追いもとめなければ。
燃えさかる火を型どおりの箱に入れるような事さえしなければ。
私達は風を受けて、
消えそうになったり、
すべてを燃やそうとしたり、
人を温めたりしながら、
酸素を吸って、二酸化炭素を出して、燃え続けます。

ギリシア神話に、『火を盗んだプロメテウス』という話があります。
神の一族であるプロメテウスという青年が、
武器もなく、けものに対抗する術のなかった人間達を哀れに想い、
火を与えてやる物語です。
ゼウスに無断で人間に火を与えた彼は、神の世界で極刑に処せられました。
毎日、肝臓を鷲につつかれ、喰われるのです。
彼は神ですから、身体は毎日再生し、毎日、肝臓を喰われるのです。
これを私が初めて読んだのは小学生の時でしたが、
おぼろげに、「この火は守らなければならないのだ」と思った記憶があります。

どうしても、この火は消えないのです。
ただ、消えている振りをしたほうが、ウケがいいんです。
でも、私は器用になりきれません。
もしかしたらこれから器用になっていくのかもしれませんが、
まだ、なれていません。
そして私は、この器用になりきれない自分が大好きです。(笑)

これから器用になっていくとしても。
これから心を亡くしていくとしても。
人の火を消すようなことはしたくない、と。
常に。例えば、燃えることが出来なくなっても。
風を、酸素を、送り続ける人間にはなってゆきたいな、と、感じています。

どうか、燃えていることに気づいて下さい。
どうか、燃やし続けて下さい。
どうか、消えても、風になって助けて下さい。
風になれなくても、燃えている姿をいとおしいと言って下さい。

みんな燃えていない振りをしていますけどね。
意外と、燃えているんですよ。(笑)




*「りすとかっと」についてかんがえる (保健の授業の自主発表より)

●我が身を傷つけるのって?
『リスカ』正式には『リストカット』というのをご存じでしょうか?
カッターナイフ、カミソリ、鋏などで、
自分の腕(特に手首)を切ることです。
著名人では、coccoなどが有名でしょう。
最近、このリストカット、数が増えているように思います。
知り合いにいるというひとも、中にはいるのではないでしょうか?
ここでは一個人の少ない情報ですが、高校生である私の視点から
同年代の人々のこの行為を見ていきたいと思っています。
(『アムカ=アームカット』という表現もあります。
二の腕などまで傷が及んでいるときこう表現します)

●どうやってする?
大体のひとの傷の位置は、左手首〜一の腕の
まんなかくらいのゾーンの危なくない側(笑)です。
手の甲の方ってことです。だいたいが浅い傷で、
跡がそんなに残らない程度のものが多いです。
切る数、方向、深さ、回数の頻度などは人によって本当にまちまちで、
そのときの気分でタテだったり、ヨコだったりします。
ちなみに、タテの方が切りにくく、ヨコの方が切りやすいです。
跡が残りやすいのはヨコの方なので、
跡を残すことにこだわる人は少ない数を、深く刻むことが多いです。
また、自傷行為は腕だけというわけではなく、
手のひら、指(これも多い)、足などまちまちです。
ちなみに、足の裏を切ると、傷が引っ張られて痛くてうまく歩けないそうです。
えっちらおっちら、という感じになるそうです。

●死にたいんすか?
簡単にいうと、死にたかないです。おそらく。多分。
むしろ、死にたくないけれど腕を切る人たちをリストカッターと呼びます。
やり始めの頃には、「自殺願望がある自分」に
酔っている傾向も強いと思われます。
慣れてくると、思春期にありがちな社会環境への恐怖で、
正気を失いそうになったときに、
気付け薬のように使ったり、
ヤケになったときにしたりする事が多いようです。
例えるなら、ヤケ酒に近いでしょう。
自分の身体を限界まで持っていくことによって、発散する点に置いては、
カラオケで喉がつぶれるまで歌いまくっちゃったり、
意味もなく台風の日にチャリ飛ばしてみたり、
食べまくって食いだおれてみたりする感じだと思います。
『自暴自棄=自分に暴力、自分なんて棄ててやるーっ!』
という、ヤケな暴れ方の一種です。
ただし、リスカ慣れしている人の方が
いざというとき迷い無く自分の手首、頸などを切り裂けるはずなので、
死のうと考えたときには、助かりにくいかもしれません。
しかしながら、手首を切って死ぬ確率は五パーセント以下です。
ほとんど死ねません。

●止めた方がいいですか?
それは、どちらでも良いんじゃないでしょうか?
例えば、ヤケ食いしている友人がいたら、
何もいわずに見守って、つきあってあげる人も、
必死で止める人もいるでしょう。
同じ事だと、私は考えます。

●何でこんな事を取り上げたんですか?
すみません、主張させていただきます。
この『リストカット』は、一種のブームのようになっています。
インターネット上で、傷をうつした写真を送りあったり、
同盟を作ったりしています。
自分のアイデンティティー、自己存在証明が、
リストカッターであることなのです。
今、精神の研究の分野において『病気志願者』という言葉があります。
「自分は鬱病患者である」
「自分はリストカッターである」
「自分は多重人格者である」
「自分は境界性人格障害者である」
「自分は対人恐怖症患者である」
そのように名乗る人たちが、増えてきているのです。

私たちは、多くの『自分』を持っています。
高校生である自分、女性である自分、姉である、
長女である、誰かの友人である、誰かの恋人である、じぶん。
時に、過呼吸症候群を持っている自分、
リスカをする自分、保健室に通う、じぶん。
楽器をやりたい自分、バイトをしたい自分、
主婦になりたい、文章を書きたい、まだ描かれていない、じぶん。

私は病気を否定する気はありません。
別に風邪だろうが肩こりだろうがリスカだろうが何だろうが構いません。
「わたし」という集合の中に、
「病気」「障害」「リスカ」という要素があったっていいと思うのです。
けれど、「病気」は「わたし」ではない。
それは知っているべきだと、私は考えます。
「フラれてヤケになってる自分ってちょっと好き」
「手首切って他人の注目を引きたがる自分ってちょっと好き」
考えも、感情も、人間ですからきっと揺れます。
そんな次期があったっていい。

けれど、それに溺れるのは得策ではありません。
結局どっかすさんでしまいます。
「私は手首切りだ!」と言い続けて、それだけで人生終えるのは、
なんだか考えただけで、私はヤでした。
手首を切っている人、病的な何かを持っている人、
病名を持っている人は、けして少なくはありません。
必ずいつか、身近に出会うことがあると思います。
もう既に出会っているかもしれません。
もしかしたら、別にこんな話に興味のない人たちも、
「○○な自分」「自分は○○」という言葉で、
自分を縛っているかもしれません。

可能性を、もっと。

私をごく普通に「単なる変なヤツ」として扱ってくれた、
中学二年、三年あたりのころの友人に感謝します。
そして今も。
こういう話が苦手な方、別に聞きたくもない方、意見が全く違う方、
ここまで読んでくださって、有り難うございました。




*ココロの病について私がレポろう。 (保健の授業の発表後レポより)

リストカットという現象、または、リストカッター達は、インターネット上、ホームページの中に見られる。私が特に取り上げたいのは、社会の中で病気としてみられ、個々で治療を受けるその人たちではなく、十三歳から十七歳くらい、とくに女の子に多く見られるものである。病気志願者とでも言うのだろうか。彼らについて見ていきたい。

私たちの世代は、「二十四人のビリーミリガン」初め、「シーラという子」「リストカットシンドローム」など、ココロの病や可哀想な過去をもつ人々が姿を現し始めたころ、ちょうど病気なり心身の状態なりの認知の過渡期を経験している。さらに、ドラマなどでも、二つの人格を持つ男や、トラウマ的な過去などが良く出てきていた。ご丁寧なことに、「綿密な取材の元に」などという文句が添えられることもあった。

面白い事例がある。私たちの年代の自称多重人格者には、ほぼ全員と言っていいほど特徴がある。それは、本来多重人格障害を持っている人間が経験するはずの、「互いの人格を知らない期間」「記憶が飛ぶ期間」がなく、当たり前のように全員(全ての人格)がほぼ全員の名前や行動を知っており、記憶もほぼつながっているというものである。また、多重人格を扱った漫画や話しなどで出てきた名前(陶子・綾・凪・忍・偲・葵)や、色の名前(黒・白・赤)などが、個々の人格につけられがちである。さらに、彼らは半分無意識で、多重人格障害に関しての知識をあさろうとしている。チャットや掲示板などにいくつかのコミュニティ(ホームページ別)があるが、それぞれのホームページの掲示板で、「人格達がいるところは暗い部屋の中」ということになっていれば、ほぼ全員が同意するし、他のページに行けば、「街を作って生活している」ということになっている。また、見ていて多く見られるのは、初めは「記憶がない」と言っておきながら、「また辛いことを思い出した」「こんなことがトラウマとしてあった」と、後で付け加えることや、全員が記憶がつながっている状態であったはずにもかかわらず、多重人格のコミュニティや資料をあさり、のめりこむにつれ、「解離が起きるようになった」「気がつくと腕に傷が」などと言うようになる。これで病院に行き、抗不安薬の処方などを受けるようになり、彼らはどんどん「ホンモノ」になってゆく。

また、一時期、これはもう少し上の世代でだが、「鬱病」も流行った。日記ばかりを集めたサイトの広告メールなどでは、紹介される二十個ほどの日記の中で、三つ四つは「鬱病」「ココロの病気」日記というものを見つけることが出来た。今は鬱病ブームがさりかけているようで、大分減ってきた。有名なことだが、心因性の不調には、日記療法が施されることが多い。この場合の日記療法は主に、医者の観察記録代わりと、書く本人が自分の行動や感情を見つめ直すためにあるものだが、インターネットという開かれたメディアの中でそれが行われることにより、閉鎖的なコミュニティ作りに一役買ってしまっている。

リストカットもそれと同じく。五年ほど前に南条あやというペンネームの高校生が、ホームページで日記を書いていた。この人が、カミングアウトブームの先駆けだと思われる。本も出しており、テレビにも出ていた「卒業式まで死にません」という本だが、彼女は十代のうちにカラオケボックスでOD(大量服薬)をし、自殺した。何年も経った今も、彼女のホームページに残された掲示板には多くの信奉者が書き込みをしている。

鬱病ブーム、リストカットブーム、自殺志願者ブーム、多重人格ブームに続き、今あるのはパニック障害、対人恐怖症、アダルトチルドレン、醜形恐怖などである。面白いもので、鬱病日記だったものがいつの間にか「鬱病・対人恐怖症・醜形恐怖日記」となっていたりする。白地に黒の文字で味気ないものか、黒と赤と白、灰色で構成されたものが多く、ティーンエイジャーならば椎名林檎やcoccoなどが好きな人が多い。

見てきた。こうやって見てくると、だいたい二パターンに別れていることが分かる。その共通性、孤独で阻害されていると言いながら閉鎖したグループにいる自分を見つけ、「治す病気として治療を受ける」もしくは「きっぱり真似を辞める、思春期らしさの一つとして捉える」パターンと、コミュニティに溺れ、どんどんホンモノに近づき、症状を悪化させていくパターンである。

腕に傷が増えて行く。叫び、人格が増えた、
人格を殺した、消したという。誰も殺してはいないのに。
そして心の中のその情景がトラウマとなって
主人格が出られなくなったという。
脳味噌は一つしかなく、過去も身体も一つしかないのに、
違う人のように振る舞う。
私を知らない「かのように」振る舞う。
鬱状態だから行きたくないと言われる。
生きていたくないといわれる。
想い出は思い出すと発狂するから語れないと言われる。

微笑ってほしい。もっと。
二十一世紀の日本である。辛いことなど、ない。
私の知っているその人は、その人達は異常者ではなく、異端でもない。
だから特別ではなく、ごく普通の、自己の成長に悩む十代である。
思春期なのでいろいろある。けれど溺れることは得策ではない。
人間らしくありたい。あってほしい、と、願う。

今回は申し訳ないが、彼らのような現象の病名、治療法などをあえて避けた。それを病気と捉えることそのものに違和感を感じ、また、病気と捉えることによって周囲が大きく騒ぎ立てることが、このような病気志願の状態を引き起こしていると考えるからである。よって、これは調査、レポートとは言えないかもしれない。けれど私が三年以上をかけて見てきたものであり、部分的ではあるかもしれないが、事実である。そして、このレポートは彼女たちが読むことを想定して書いた。具体的な資料こそないものの、読んで心が動かせるものにするために考え抜いたことを、ご理解いただきたい。